-言語の本質-

 発話は、言葉を言語システムと呼ぶべきものに基づいて行われる
行為であると定義されましたが、言語がまだどのようなものか
分かっていません。ソシュールが用いた次の図[1]を使って言語の
本質を改めて考えてみましょう。

 図1の下の部分は、2人の人が会話する仕組みを説明したものです。
この図によれば、Aという人は、 彼の思ったことを発声(Phonation)
を通じて相手Bに伝えます。相手Bは空気を通じてAが出した音の聞き取り
(Audition)を行います。

 聞き取った音からBの脳内では聴覚イメージ(sound-image)が呼び起こ
されます。聴覚イメージとは、聴覚を経て脳内で”音が心理的な印象”に
変換されたもの感覚的なものです。口を動かさずに心の中でつぶやく
とき、実際に音は聞こえませんが、音を聞いているかのような感覚が
あります。それが聴覚イメージとされています。さらに、この聴覚イメージ
に対応する概念(Concept)に変換することで聞く側のBは言葉を理解すると
ソシュールは考えました。

 例えば、「木」と心でつぶやいた時の音の感覚
は聴覚イメージであり、「木」という語がさす意味が概念という対応付け
が可能でしょう。

 さて、この図を用いた理由は、言語の本質を明らかにすることでした。
この図のどこに言語の本質があるのでしょうか。ソシュールによれば、
言語の本質は聴覚イメージと概念の変換機能、結びつきにあるといいます。
人々がこの言語=「聴覚イメージと概念の結びつき」を用いなければ、
人が発声した音が概念と繋がることはなくなります。したがって、外国の言葉
に初めて接した時のように、相手の言葉を理解することができないのです。

 また書き言葉であっても同様です。例えば「arbos」という文字だけを
示されても多くの日本人はわかりません。この文字はラテン語で、
「木」の意味です。このように、「 arbos」の記号と「木」の意味が
対応していることを我々は知っているからこそ、会話することができるのです。

 さらに、発声(Phonotation)と聴覚(Audition)のような生物的な器官の仕組み
は生理学が考えるべき問題であって、言語学の考えるべき問題ともソシュール
は指摘します。これは次のように言い換えられます。

『一見すると、発声は、言語活動の現象の中でも中心的で重要であるかにみ
えます。しかし、それは非本質的な問題なのです。モールス信号で表された
記号を送受信する電子的な機械として様々なものがあって、どれを使うかは
非本質であるのと同じようにです。2つの端で記号が見えさえすれば、どの
電子機械を使うかは大した問題ではありません。』

 つまり、どの記号がどの意味に対応するかが重要であって、それが伝えら
れる手段は問題ではないというのです。

 言語の本質について説明しました。言語の本質は、「聴覚イメージと
概念のつながり」、つまり「人間は文字をみると概念を思い起こす」という
ことを指摘したと言えます。

 今回示した言語の本質からソシュール言語について2つの原理をを示しています。
それは恣意性線状性です。特に恣意性は重要な指摘であり、現在の言語学
においても重要な概念となっています。次節ではこの恣意性と線状性について
説明します。