哲学の「て」 「倫理について語るときに我々の語ること(メッタメタ倫理にしてやんよ)」を視聴しました。(vol.3)

さきの章"vol.2"では、
メタ倫理と規範倫理の関係についてまとめました。

今回は、Is/Ought問題について纏めたいと思います。
放送は、"v.v.644"です。
ぜひこちらを先にみてください。

また、説明が適切ではない、さらには間違っているという場合もあるかもしれません。
そのときは指摘していただけるとありがたいです。


[Is/Ought問題]

Is/Ought問題とは、以下の命題に関わる議論です。

「AはBである」 A is B. 

このような文を事実命題といいます。

つまり、この文では実際に観測された事実を描写しているのです。
例えば、「ある人が悪口をいった。」という文は、ある人が本当に悪口を
言ったのなら真になるのです。

また、
「CはDであるべきだ」C ought to be D. 

このような文を価値命題といいます。 

つまり、この文はある事柄がどうあった方がいいのかということを評価しているのです。
例えば、「すべての人は悪口をいうべきではない。」という文は、
A君が実際に悪口をいった/いわなかったということ事実は問題にならずに、
悪口を言うことを禁じており、価値を含んだ文になるのです。


先に述べた事実命題と価値命題の関係が我々の判断の説明
に使われることがあります。
以下の会話を見ていきましょう。

(私が裸で家の中をうろついているといます。)
お母さん「そんな格好で雪山に行っちゃいけませんよ?」
私「どうして?」
お母さん「どうしてって.. そりゃ死んじゃうからでしょ!」

さて、お母さんの発言を前提と結論にわけて考えて、文の関係を明らかにしてみましょう。
#ここでは、Pは前提(Premise)を表し、Cは結論(Conclusion)を表します。

P1: 雪山に裸でいつづけるとと死ぬ。(事実命題)

C1:裸で雪山にいつづけるべきではない。(価値判断)

このようにみると、事実命題P1が真であっても、事実命題P1のみからでは価値命題C1は導かれません。

つまり、この文は正しい論理の展開になっていないのです。


しかし、以下のようにしてみるとどうでしょうか。

P1: 雪山に裸でいつづけるとと死ぬ。(事実命題)
P2: 死ぬようなことをすべきではない。(価値命題)

C1:裸で雪山にいつづけるべきではない。(価値命題)

事実命題P1価値命題P2が真であれば、価値命題C1という判断は正しい展開になっているのがわかります。

このように、「Is/Oughtの議論では、事実命題のみでは価値命題を導くことはできない。」ということになるのです。

さらに言えば、
「前提に少なくとも一つの価値に関する命題を含まずに、論理的に妥当な価値命題の結論を導くことはできない。」ということになるのです。

これがIs/Oughtの議論なわけです。

実はこの「Is/Oughtの議論では、事実命題のみでは価値命題を導くことはできない。」がある立場を論駁できるのです。


次のまとめで詳細に扱いますが、ここでは簡単にみていきましょう。

前回述べたように、メタ倫理の問題として次のようなことが問われます。
(他にも、快楽というのは何を意味しているのか?などなど)

Q:「善い」(goodness)とはどのような性質なのか?
A: 自然主義的、還元的答え「善い(good)とは何らかの自然的性質(natural property)と同一である。
例えば、
善い=快い(pleasant)
善い=欲望の対象である(object of desire)
他にも
善い=ドーパミンがある脳部位で作用することである
などなど

このように自然主義的還元主義は「善い」という価値評価を含む命題を事実に関する
自然的性質から導出できるという考え方です。

そこで、先ほどの話を思い出してみましょう。
それは以下のような議論であったはずです。
「Is/Oughtの議論では、事実命題のみでは価値命題を導くことはできない。」
つまり、自然主義的還元主義は、Is/Oughtの議論と真っ向から対立するのです。
そして、我々はIs/Oughtの議論の結論からすると、先ほどの自然主義的還元主義
は間違いであると主張できるのです。

次の枠では、より詳細にG.E.MooreのOpen Question Arugumentと呼ばれる
より正確な形で自然主義的還元主義への論駁を示すことになります。
"Moore's Moral Philosophy"